愛知県から友が来た
申し訳ありません。いつもより長文です。
懐かしい顔を見てほっとした時間でした。
朝電話が突然あり、大学時代の愛知県出身の友人からであった。御牧原に来るとの連絡でした。
友人Nは裕福であったと思う。
私はNの住まいに入り浸り、物もらいのようなことをずっとしてた。
当時、学生で自分の車を持っている彼は羨ましかった。
私の愛車は映画ランボーの逃走時に使うヤマハXT250 ↓↓
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ヤマハ・XT250は、4スト250ccエンジン搭載のオフロードトレールとして、1980年4月に発売された。4ストのオフロードバイクとしては、ホンダからXL250(1975年)やXL250S(1…
それが通学車でした。
雨が降った日は自主休校、彼に代返をお願いした。気の良いNだった。
私もNのお陰で4年間で無事卒業に漕ぎ着けることが出来た。
卒業旅行は海外へ行こうと約束したのだった。しかし私の旅行資金が底をついてしまい、Nに妥協案を持ち掛けたのだった。
それは冬の北海道であった。Nは快く同意してくれた。
当時まだ流氷はそれほど観光化してなかった。流氷の知識もなかったが、なぜか流氷を見てみたかった。
取り敢えず、北へ行くと見ることが出来ると思っていた。それが間違いだった。
お金がなかったので
石川さゆり『津軽海峡冬景色』の歌詞のように上野発の夜行列車で向かった。
♪上野発の夜行列車降りたときから、青森駅は雪の中♪
今は運転されていない『急行 八甲田』の直角ボックスシートで行きました。なぜって寝台料金が高いからです。
一晩列車に揺られ、本当に青森駅は雪の中でした。歌詞の通りでした。『急行 八甲田詳細』↓↓
↓ウィキペディア↓
覚えているのは、座席に座るとちょっと東北弁交じりの車掌さんの列車案内が始まり、その後に乗車券検札と北海道へ渡る青函連絡船の乗船名簿が配られたことを覚えています。
確か、Nは革靴でした。私は防寒長靴だったような…。
こんな旅の始まりでした。
その後のめちゃくちゃ卒業旅行の珍道中はまた思い出したらブログに記します。